Posts in Category: ボイス読書会

第9回 ボイス読書会「新訳 ヴェニスの商人」 6月24日

第9回ボイス読書会はシェイクスピアの「新訳 ヴェニスの商人」を取り上げます。
河合祥一郎の音読しやすい翻訳で、世界中の誰もが知る古典の名作を通読します。
音読をたっぷり楽しみましょう。

<題材>
「新訳 ヴェニスの商人」

<日時 / 場所 / 定員>
日時:2018年 6月 24日(日)PM1:00 〜 PM5:00
場所:駒込地域文化創造館 4F 第4会議室
東京都豊島区駒込2-2-2
定員:5名まで (ファシリテーター1名含む)

<持ってくるもの>
「新訳 ヴェニスの商人」
音読を楽しむ気持ち

<費用>
運営費500円

<当日の進行>
自己紹介:名前と近況
ブリーフィング:主催者が題材について簡単に説明
配役:役割分担
音読:課題本を音読
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読
感想交換:感じたこと思ったことをシェア
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッション

<参加方法>
meetupでお申込ください
https://www.meetup.com/ja-JP/Trinity-Bookclub/events/250481211/

<禁止事項>
・読書会以外の行為
・その他目に余る行為

第8回 ボイス読書会「新訳 まちがいの喜劇」4月15日

第8回ボイス読書会はシェイクスピアの「新訳 間違いの喜劇」を取り上げます。
河合祥一郎の音読しやすい翻訳で、生き別れた兄弟が互いに間違えられて巻き起こる楽しい喜劇を読了します。
音読をたっぷり楽しみましょう。

<題材>
「新訳 まちがいの喜劇」

<日時 / 場所 / 定員>
日時:2018年 4月 15日(日)PM1:00 〜 PM5:00
場所:巣鴨地域文化創造館 第3会議室
東京都豊島区巣鴨4丁目15-11
定員:5名まで (ファシリテーター1名含む)

<持ってくるもの>
「新訳 まちがいの喜劇」
音読を楽しむ気持ち

<費用>
参加費:無料
会場使用料:1600円を割り勘します

<当日の進行>
自己紹介:名前と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単に説明
配役:役割分担
音読:課題本を音読
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読
感想交換:感じたこと思ったことをシェア
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッション

<参加方法>
meetupでお申込ください
https://www.meetup.com/ja-JP/Trinity-Bookclub/events/248697579/

<禁止事項>
・ナンパやセクハラなどの行為
・いわゆるマルチ商法の勧誘
・その他目に余る行為

第7回 ボイス読書会「戯曲 毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている」 3月25日

第7回ボイス読書会は寺山 修司の「毛皮のマリー」を題材として取り上げます。
今回は実験として「毛皮のマリー」以外の収録作品も音読します。
どれを音読するかはその場の話し合いで決めます。
音読をたっぷり楽しみましょう。

【題材】
「戯曲 毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている 」寺山 修司

【定員】
主催者含めて5名まで

【日時】
2018年3月25日(日曜) PM1:00〜PM9:30

【場所】
駒込地域文化創造館 4F 第4会議室
東京都豊島区駒込2-2-2

【費用】
参加費:無料
会場使用料:1600円を割り勘します

【当日の流れ】
自己紹介:名前と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単に説明
配役:役割分担
音読:課題本を音読
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読
感想交換:感じたこと思ったことをシェア
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッション

●参加申込
こちらの申込フォームにてお申込みください
https://goo.gl/forms/EAFbqIXLJFzsg9zD3

第6回 ボイス読書会 「マリアの首 —幻に長崎を想う曲—」 2月25日

 

第6回ボイス読書会は、田中千禾夫の「マリアの首 —幻に長崎を想う曲—」を題材として取り上げます。
音読をたっぷり楽しみましょう。

【題材】
「マリアの首 —幻に長崎を想う曲—」 田中千禾夫

【定員】
主催者含めて5名

【日時】
2018年2月25日(日曜) AM9:00〜PM5:00

【場所】
南大塚地域文化創造館 2F 第6会議室
東京都豊島区南大塚2-36-1

【費用】
参加費:無料
会場使用料:1500円を割り勘します

【当日の流れ】
自己紹介:名前と抱負と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単な説明をします
配役:役の割り振りを行います
音読:課題本を音読します
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読します
感想交換:感じたこと思ったことをシェアします
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッションを楽しみます

●参加申込
こちらの申込フォームにてどうぞ

https://goo.gl/forms/PvVHIoO6a6q2plhp1

<レポート> 第5回 ボイス読書会 「新訳 ハムレット」 12月9日

本格的な冬が訪れた師走の12月9日に第5回のボイス読書会が開催されました。
場所は駒込地域文化創造館。参加者3名。
デンマークを舞台とした苦悩と困惑の物語は運命の重みを感じさせ、生きることの荘厳さを思い出させてくれたのでした。

終了後のディスカッションの抜粋をご紹介します。

→再婚が近親相姦であるように言われているがその罪悪の重みがよくわからない
→だからハムレットの受け取り方が大げさにも思える

→亡霊のセリフはあまりにもハムレットにとって都合が良い
→ハムレットもまた亡霊のセリフに飛びついている
→ハムレットには、思いたいように思うというのを感じた

→王妃はよく考えないで再婚したのかもしれない
→その可能性もあるのにハムレットは見ようとしていない

→『弱き者、汝の名は女』
→ガートルードとしては自分の人生を今後生きる上で女として頼れる人を求めたのではないか
→女としての生き方を選んだのではあるまいか?

→ハムレットは狂人の演技をしている
→何故、何のためだろう?
→亡霊をハムレットに見せた黒幕を炙り出すため
→ポローニアスを容疑者として考えているかのようだ
→ハムレットとオフィーリアの関係が不透明
→オフィーリアは既にハムレットの味方についているのかもしれない

→王位簒奪の物語なのだが、ハムレットが40代だったら成り立たなかった
→青春の尻尾を引きずっている年代だから成り立った

→チャンスがあったのに王を殺害しなかったのは何故か?
→殺人者になることを恐れた
→王位簒奪者になることを恐れた
→復讐の快楽に酔っていた

→配役するとしたら、どんな芸能人か
→ハムレット⇛東山紀之、市川海老蔵、山下智久、沢田研二
→ハムレット父⇛渡辺謙
→ポローニアス⇛岸部一徳
→レアティーズ⇛木村拓哉
→オフィーリア⇛色のついていない20歳前後であれば誰でもよい
→国王⇛佐藤浩市
→ガートルード⇛中谷美紀、原田美枝子、壇れい、寺島しのぶ

→勧善懲悪でおさめた結末だと思った
→レアティーズの性格だったら正々堂々戦えば良さそうなもの
→王妃も考え方は浅いけど死ななければならないほどの罪なのか?

→オフィーリアの死について
→目撃者はどうして救助しなかったのだろうか?
→作者の作劇の都合で死んだのだろう

→『To be, or not to be, that is the question』の翻訳、様々なバージョンがあるが、巻末のリストの中ではどれを推す?
→41
→13
→37

第5回 ボイス読書会 「新訳 ハムレット」 12月9日

第5回ボイス読書会を開催します。

シェイクスピアの「ハムレット」を題材として取り上げます。
音読をたっぷり楽しみましょう。

【題材】
「新訳 ハムレット」 シェイクスピア

【定員】
6名ほど

【日時】
2017年12月9日(土曜) PM1:00〜PM9:00

【場所】
駒込地域文化創造館 4F 第4会議室
東京都豊島区駒込2-2-2

【費用】
参加費:無料
会場使用料:1600円を割り勘します

【当日の流れ】
自己紹介:名前と抱負と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単な説明をします
配役:役どころの割り振りを行います
音読:課題本を音読します
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読します
感想交換:感じたこと思ったことをシェアします
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッションを楽しみます
二次会:盛り上がりに応じて二次会を行います

●参加申込
こちらの申込フォームにてどうぞ
https://goo.gl/forms/GqVWp281joC5uF9u2

<レポート> 第4回 ボイス読書会 「幕末純情伝」 10月29日

秋台風がにわかに訪れた神無月のアフタヌーンに第4回のボイス読書会が開催されました。
場所は駒込地域文化創造館。参加者3名。
幕末を所狭しと駆け回った青春は眩しいばかり。
全編を通じて途轍もない熱を発するつかの世界に胸が熱くなり、読了後は感無量で言葉を発することが出来ず。
深い余韻の残る会でした。

読了後のディスカッションの抜粋をご紹介します。

・史実とはずいぶん異なる
→事前に幕末の知識を知っておくともっと良かったかもしれない
→つかの解釈が先行している
→幕末に仮託してつかが自分の描きたいものを描いた気がする
→先行作品としての飛龍伝は見逃せない
→幕末純情伝を事前に読んでいなかったが、これで良かったような気がする。

・沖田が女性に転換されていること
→女性がバッタバッタと人を斬っている様、イメージできない
→作中で沖田が淡々と人を斬ってきたような雰囲気が気になった
→何故沖田を女性にしたのだろう?
→作中では弱者へのまなざしが描かれている
→社会的弱者としての記号のひとつとして考えていたかもしれない
→飛龍伝から踏襲しており、面白い演劇を作りたいつかの本能的判断だったかもしれない

・作中での「やってらんねえよ」は、みんな抱えてる思い
→何だかうまく消化しきれなかった
→現代に置き換えればいろんな武器(手段)がある
→何も人を斬るだけが手段ではない
→人を斬るということに結びつかない

・ジェンダー
→つかの時代と現代とでジェンダーに対する考え方がずいぶん異なる
→卑猥な言葉が出てくるし、物語を通じて男女のそういうのが語られる
→男女という大きなテーマがこの作品にはある
→一方で庶民や弱者に夢や希望や勇気を与えるというのもある
→何かしっくりしない
→描かれているのが現実の女性よりも『つかの』女性に寄っているかも

・デモクラシー
→伏流水のように作中を流れる精神がデモクラシーを乞う心
→新撰組の面々は弱者の代表のようなもの
→彼らのいじましい夢は叶わない
→坂本竜馬はそんな彼らの夢が叶う世の中を夢見ている
→デモクラシーのアイロニーがここにはある
→太平洋戦争に敗北してデモクラシーを与えられた国の物語である
→幕末を舞台としながらも現代の日本に通じている

・つかの発する熱
→現代に通じている
→いま読んでも胸を打たれる

第4回 ボイス読書会 「幕末純情伝」 10月29日

第4回ボイス読書会を開催します。

つかこうへいの「幕末純情伝」を題材として取り上げます。
– 沖田総司は実は女性だった
意外な奇想で知られますが、男と女、理想、希望、青春、野心、プライド、怨念、悲哀、憎悪、そして愛がアラベスクを織り成し、むせ返るほどの情熱の迸る作品です。
野暮な解説はいたしません。

絶版となっていますが古本をAmazonで入手できます。古書店の通販でも入手可能。
単行本で159ページですが、歯切れのよい掛け合い多数なので2時間30分ほどで読了する見込みです。

音読をたっぷり楽しみましょう。

【題材】
「幕末純情伝」 つかこうへい
白水社版を各自お持ちください

【定員】
6名まで (会場都合のため)

【日時】
2017年10月29日(日曜) PM1:00〜PM5:00

【場所】
駒込地域文化創造館 4F 第4会議室
東京都豊島区駒込2-2-2

【費用】
参加費:無料
会場使用料:800円を割り勘します

【当日の流れ】
自己紹介:名前と抱負と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単な説明をします
配役:役どころの割り振りを行います
音読:課題本を音読します
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読します
感想交換:感じたこと思ったことをシェアします
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッションを楽しみます
二次会:盛り上がりに応じて二次会を行います

●参加申込
こちらの申込フォームからどうぞ。

<レポート> 第3回 ボイス読書会 「わが友ヒットラー」 9月30日

すっかり秋の空気に入れ替わった9月30日に第3回ボイス読書会「わが友ヒットラー」は行われました。
場所は駒込地域文化創造館。参加者2名。
今回もご好評いただきました。
登場人物4名、参加者2名、待ち時間が少ない上に二役の面白みもありました。
ボイス読書会は少人数を意識すると良いのかなぁと感じました。

読了後のディスカッションの抜粋をご紹介します。

・シュトラッサーはゲーマー
→パワーゲームにしか関心が行っていない
→ゲームに勝ってどうしようというのか理念が見えない
→その意味でホリエモン
→労働者のことを思ってなどいない気がする
・レームは見たいものしか見ていない
→その意味でネトウヨ
→同性愛趣味を感じさせる
→作者の代理人でもあるように思える
・クルップは落ち着いた老人として描かれているのに自分の商品の銃が謀殺に使用されたことを知って饒舌になっているのが奇妙
→死の商人なのでセールスマインドの発露なのでは?
・ヒットラーは悪だなぁ
→中道と言っているがこれは中道ではない
・第二次世界大戦前後の日本にカブる
→二二六の青年将校へのオマージュを感じる
→山本五十六と幹部の対立も連想させる
→戦後日本の象徴天皇制への嫌悪感を感じさせる箇所がある
→ヒットラーは昭和天皇の役どころ?
→シュトラッサーは幣原喜重郎?
→するとレームは二二六の青年将校?
・ところどころ毒がある
→笑うところ、結構ある
・レームが処刑されるところ、取り乱したとある
→作者としてレームの処刑は描くに忍びなかったのであろう
・レームは友情友情と言うが、権力闘争の世界なのに…
→浮世離れしている
・三島由紀夫は薄っぺらくない?
→人物の造形にまるで深みがない
→漫画のように役割分担が明確だからだろう
→自分にとっての理想の天皇像をヒットラーに託した気がする
・サド侯爵夫人とわが友ヒットラーで女性しか出ない、男性しか出ないと対比しているが、どうしてそんなにジェンダーに囚われるのか?
→三島の同性愛趣味を想起させられる対構造である

会の雰囲気は伝わりましたでしょうか。

第3回 ボイス読書会 「わが友ヒットラー」 9月30日

 

第3回ボイス読書会を開催します。

三島由紀夫の「わが友ヒットラー」を題材として取り上げます。
最近ですと東山紀之や生田斗真が出演していますが、定期的に舞台化されて来ている作品です。また、三島自身による読み上げの録音も残っている事でも知られます。

新潮文庫で93ページですので1時間30分ほどで読了する見込みです。
出来れば配役を変えて二周します。

今回の題材は作品特性として男性4名しか登場しません。
このため定員5名としました。
経験的に、女性が男性の役どころをこなす分には違和感が少ないので、女性の方も奮ってご参加ください。

音読をたっぷり楽しみましょう。

【題材】
「サド侯爵夫人・わが友ヒットラー」 三島由紀夫
新潮文庫版を各自お持ちください

【定員】
5名くらいまで (作品特性のため)

【日時】
2017年9月30日(土曜) PM1:00〜PM5:00

【場所】
駒込地域文化創造館 4F 第4会議室
東京都豊島区駒込2-2-2

【費用】
参加費:無料
会場使用料:800円を割り勘します

【当日の流れ】
自己紹介:名前と抱負と自己アピール
ブリーフィング:主催者が題材について簡単な説明をします
配役:役どころの割り振りを行います
音読:課題本を音読します
休憩:適度に休憩します
音読:読了するまで音読します
感想交換:感じたこと思ったことをシェアします
意見交換:疑問や意見をシェアしてディスカッションを楽しみます
解散:解散します
親睦会:やるかもしれません

●ボイス読書会 参加申込
こちらの申込フォームからどうぞ。

【資料】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%8F%8B%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC

<wikipediaより引用>

設定・主題
舞台は、1934年(昭和9年)6月30日夜半の「レーム事件」前後のベルリン首相官邸の大広間。登場人物は、アドルフ・ヒトラー、エルンスト・レーム、シュトラッサー、グスタフ・クルップの実在人物の男性4人のみ。第1幕と第2幕は事件数日前。終幕の第3幕は6月30日夜半。
突撃隊幕僚長・レームはあくまでヒトラーを友と信じる右翼軍人。社会主義者・シュトラッサーはナチス左派。エッセン重工業地帯の独占資本を象徴する鉄鋼会社社長・クルップはヒトラーにうまく取り入る死の商人として描かれる。
三島は、〈レームに私はもつとも感情移入して、日本的心情主義で彼の性格を塗り込めた〉と述べ、『わが友ヒットラー』の主題について、ヒットラーへの興味というよりも「レーム事件」が書きたかったとしている。

政治的法則として、全体主義体制確立のためには、ある時点で、国民の目をいつたん「中道政治」の幻で瞞着せねばならない。それがヒットラーにとつての一九三四年の夏だつたのであるが、このためには、極右と極左を切り捨てなければならない。さうしなければ中道政治の幻は説得力を持たないのである。この法則は洋の東西を問はぬはずであるが、日本では、左翼の弾圧をはじめてから二・二六事件の処断までほぼ十年かかつた。いかにも計画性のないお国柄を反映してゐる。それをヒットラーは一晩でやつてのけたのである。ここにヒットラーの仮借ない理知の怖ろしさがあり、政治的天才がある。(中略)そしてレーム大尉は、歴史上の彼自身よりも、さらに愚直、さらに純粋な、永久革命論者に仕立ててある。この悲劇に、西郷隆盛と大久保利通の関係を類推して読んでもらつてもよい。
— 三島由紀夫「作品の背景――『わが友ヒットラー』」

また、先行で発表された『サド侯爵夫人』(女性のみ6人の登場人物)を書いている時から、それと〈対をなす作品〉として男性のみの登場人物の作品を創作しようと考えていたとし[、〈女らしさの極致〉の『サド侯爵夫人』の奥に、〈劇的論理の男性的厳格さ〉が隠され、〈男らしさの極致〉の『わが友ヒットラー』の背後に、〈甘いやさしい情念〉が秘められているとしている。

『サド侯爵夫人』における女の優雅、倦怠、性の現実性、貞節は『わが友ヒットラー』における男の逞しさ、情熱、性の観念性、友情と照応する。そしていづれもがジョルジュ・バタイユのいはゆる「エロスの不可能性」へ向つて、無意識に衝き動かされ、あがき、その前に挫折し、敗北してゆくのである。もう少しで、さしのべた指のもうほんのちよつとのところで、人間の最奥の秘密、至上の神殿の扉に触れることができずに、サド侯爵夫人は自ら悲劇を拒み、レームは悲劇の死の裡に埋没する。それが人間の宿命なのだ。
— 三島由紀夫「一対の作品―『サド侯爵夫人』と『わが友ヒットラー』」

作品評価・研究
『わが友ヒットラー』は、戯曲としての出来は悪くはないが、ヒットラーを扱っているというタブーから、海外では上演が行われない傾向がある。発表当時も作品自体のことよりも、俳優が観客にウケるためカーテンコールの挨拶でやっている「ナチス式敬礼」について批判し、「今通じる洒落と通じない洒落がある」と秋山安三郎が述べている。しかし、そのような中でも小島信夫は、「古典演劇のようなレトリックの多い文章でしゃべらせているので、福田恆存氏訳のシェークスピアを読むような感じがするが、非常に充実感がある」と評価している。
マイコウィッチ・ミナコ・Kは、三島がヒットラーへの興味よりもレーム事件に興味を持ち、〈レームに私はもつとも感情移入して、日本的心情主義で彼の性格を塗り込めた〉と説明している創作意図を鑑み、「この戯曲はかなり日本化されたヒットラー劇という特性を備えている」と説明しながら、この劇のヤマ場が第2場の、レームが断固としてヒットラーを信じる場面だとし、「それだからこそ、〈わが友ヒットラー〉という表題の意義が大きく浮かび上がるわけである」と解説し、最後のヒットラーの台詞を「三島の技倆を遺憾なく発揮したもの」と評している。
佐藤秀明は、ヒットラーに厚い友情を抱く突撃隊のレームと、ナチスの私兵・突撃隊の処分を考えていたヒットラーを比較し、全体主義の移行のために一旦中道政治の方向を示して国民の支持を取りつけようとするヒットラーよりも、私兵「楯の会」を率いる三島は当然突撃隊のレームと重なるとし、そこに必然的に浮上してくる「政治的敗北」ということを考え併せ、「三島は政治的な敗北を予言したのだろうか」と疑問を呈しながら、むしろ三島が告白しようとしたのは、「政治的勝利や政治的権謀術数への訣別の意志」であり、「粛清される側に立つ三島」が、ヒットラーを「わが友」と呼んだのは、レームの言う「軍隊への郷愁」を、敗者になることでそのまま享受しようという「心情」があったからだと考察している。
伊藤勝彦は、三島の死後に彼の「親友」を自認する「エセ親友」がぞくぞくと出てきたことから、三島が生前にそういった多くの取り巻きの者たちの媚態や偽善を見抜き、華やかで社交的な振舞いの中でも孤独を感じて「真の友」を欲していた人であり、いわばシュトラッサーのようにヒットラーの裏切りを事前に敏感に察知できるような「明察」の人だったとして、それゆえ三島は、自身とは異質の他者である「愚直で、誠実で、人を信じきることができる男」であるレームになりたいと思い、愚直に美に邁進してそれを体現する悲劇的な人物に憧れていたと考察している。そして三島の造型したそのレーム像について伊藤は以下のように解説し、レーム同様に「楯の会」を率いていた三島も、「戦士共同体の再現はもはや帰らぬ夢であることを知りぬいていた」が、それにもかかわらず、「それを信じることにいのちを賭けてみたかった」のだとしている。

レームにしても、まるっきりのバカではない。ヒットラーの裏切りの可能性を知らないわけではなかった。(中略)しかし、“わが友ヒットラー”を裏切ることだけは絶対にできない。彼はいわば戦士共同体を夢みる男だった。その夢が無残にこわされるくらいなら潔く死んだほうがましだった。(中略)たとえ裏切られてもいい。最後まで“わが友ヒットラー”を信じ、ヒットラーの信頼に応えるような、誠実な行動をとりつづけたい。こう考えたからこそ、シュトラッサーに同調しなかった。そうして見事に裏切られ、壮烈な死をとげたのである。
— 伊藤勝彦「わが友ヒットラー」(『最後のロマンティーク 三島由紀夫』)

また伊藤は、ヒットラーの造型については、決して「狂気の人」ではなく、「冷酷無残な政治的人間」であり、そこに「現実政治の実態」を三島が描いているとして、その観点でいくと、「ヒットラーが異常性格で狂人にひとしい存在であるという常識」に妥協していた公演(石沢秀二の演出、平幹二朗の演技)は、三島の原作の「真精神を裏切っていた」と劇評している。
そして、「もっとも冷静で、正気な人間のうちにも、狂人以上の冷酷無残がひそんでいる」という「正気という名の狂気」がこの劇の主題であり、三島が言いたかったのも、「あなたはヒットラーを自分とは無縁な特殊人間に仕立てあげ、ヒューマニズムの中に安住していたいのだろうが、そのあなたの中にもヒットラーが生きている。あなた自身、“ヒットラーの友”なのかもしれませんよ」ということだろうと伊藤は考察し、しかしながら演出家の強調点が三島の真意と噛み合っていないにもかかわらず、『わが友ヒットラー』で交わされる台詞には、三島の精神が躍動し、演劇空間の中に三島が甦り、「三島由紀夫は生きている」と実感できるとして、「すぐれた芸術作品はかくも不出来な演出の中においてすら、真価を発揮する」と評している。